August 1974 / タージ・マハル旅行団



スピリチュアルなのに、同時に大陸的な拡がりが永遠に増幅しつづけている・・・そんな感じ。
もう、心地良すぎて、耳をすませ身を委ねることしかできないので、小杉武久さんの発言より。


「お客なしで演奏したり、アジアのハイウェイで羊飼いに出会うとぼくらも笛吹いて演奏したりしました。それがとってもいいんですよ。ぼくらの音楽は、偶然のように具体的な旅になってしまいますけれども、現在でも自分自身が音楽の<旅>を愉しんでますよ。楽しいわけですよ。観客にひとつのメッセージを伝えるといった慣習的なあり方、あるいは演奏が活動のひとつのジャンルみたいになっているような活動のし方。そんなやり方は、ぼくたちはとらない。結局は音を出したいという、自分の欲望。そういうところにだけ、ぼくらの音楽は立脚しているんですよ。」


「つまり集団の運び方そのものが、ふつうのロック・グループとかいうものと異質なんですよ。自分の欲望に根ざしている。だから、ビールを飲みながら演奏したり、七人もいれば演奏の最中にひとりぐらいサボったり、眠くなれば寝てしまう。トイレに行きたくなれば演奏中でも抜けだしていくしね」


つづいて、高橋悠治さんのこれまたすばらしい解説(抜粋)。


旅ーー東京の喫茶店や小さな画廊。また夜明けのさびしい海岸や昼すぎの人気のない山中でも演奏する。またスウェーデン、インド、イラン、イギリスで。電源がとれるところならどこでも。


「ここでは自発的行動あるのみ」(ici, on spontanée.)ーーこの音楽は練習するものではない。それは起こるのだ。書かれた音符や口伝なしに。合奏のリーダーもなく、ひとりひとりの語り口がたちまち全体の複雑な音の波の、ゆるやかで不規則な脈を打つなかにくみこまれる。音の波のり。


異化(Verfremdnng)ーー楽器はエコマシーンからのおくれをともなって増幅される。つくられた音がかなたのスピーカーからでてくるのをきくと、それはもう手のとどかない何かにかわってしまっている。このフィードバックーー実際には時間=空間のずれーーが、かれらの音楽の基礎だ。
楽器庫ーーインドのシタールのようにグリッサンドをつけたヴァイオリン、ベース、ギター、ドラムス、ハーモニカ、小さなシンセサイザー、サントュール(スプーン形のバチで演奏するイラン製ツィンバロン)、シャーナイ(インドのオーボエ)。声(声明風、ラモンド・ヤングがやり、シュトックハウゼンの「シュティムンク」できかれる倍音唱法)。
 アンプ、ヘテロダイン(電圧調整フィルターとくみあわせた超低周波発振器)が音色をたいへんゆっくり変化させたり、もどしたりする。またほかにも、やや原始的な手づくり電子装置など。
 これらすべてが全体としてアンサンブルのたえず変化をつづける多様性になる。


 眼を閉じよ。くつろいで、すぎゆく雲、そよ風、立ち上る波を音としてうけいれよ。この音楽は茶道のようにゆるやかで、古代絵巻のようになごやかで、ほがらかでなはないか。