脳内ニューヨーク / チャーリー・カウフマン 監督



邦題もチラシも、合致していない! とにかく地味。
ことに前半のタルさは、もう堪え難いけれど、
映画の肩をもつとすると、あれは仕方のないことである。
観客は、大きく口を開けた映画の穴に入らされるわけだが、
それはジョン・マルコビッチのものでも、ニコラス・ケイジのものでもなく
不運つづきの冴えない中年男の穴なのだから。


妻にも娘にも逃げられた男が、ある日「天才賞」を受賞。
街の一角にニューヨーク市を建設、そのなかに役者をどんどん投入、自分を演じさせる。


自分の生活が、数秒後には舞台で上演、再生される。
ケイデン役のサミーが、ケイデンよりも先の時間を生き始めて、恋人だか恋人役だかを寝取られたり
しまいにはパッと出の脇役(そうじ婦)に、演出家の座をも奪われてしまう。
こんなこと、何十年もつづけてる役者たち同様、こっちも途方もない気持ちになる。


夢と現実との彷徨は、カウフマンの十八番。究極の入れ子構造。
でも起こることすべて、「死」なる大文字のテーマにばかり直結しているので
ファンタジーの要素がうすまりすぎる。
ゴンドリーが監督したら、こんな薄暗くはならなかっただろうなーと思うと
あれ(人間)を最後は、もっと無様で愛くるしいワラ人形にしてみたくなる。


ホモセクシャルの父親に棄てられたという強迫観念に取り憑かれた末、
ドラァグクイーンとして君臨してしまった娘オリーヴの最期が、好き。
入れ墨の花が腐食し、腕から剥がれ落ち、深紅の花びらがピラっと舞う。


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